写真に写ることが苦手だ。
特にコロナ禍を機に、記念写真を撮る機会がめっきり減ったこともあり、すっかり撮られ方を忘れてしまった。
口元は不自然、目は一切笑っていない笑顔のような何かの表情が、そこにはある。
目は…そうだ…月並みであるが、死んだ魚と形容するにこれほど相応しいものはない。
好きな俳優と記念撮影しなくてはならない(敢えてこう書く)など、考えたくもない。たとえ数十分の一であったとしても、だ。
こんな死んだ魚のような目の人間とイキイキとした目の方々と一枚の写真に収まるなどあってはならない。
コロナ対策でマスクをつけたまま撮影、というのがまた良いのか悪いのか分からない。
死んだ魚の目しか写って無い方がいいのか、トータルで晒された方がまだ表情の体を成しているから良いのか。
こうした議論の時に必ず「他人の顔なんて、誰も見てないから大丈夫だよ!」と言ってくれる優しい人がいる。
ありがとう。優しい人よ。あとでご飯行こう。でも違うのだ。こちらのマインドの問題なのだ。
例えるならば、会社を辞めるとしよう。
そのために引き継ぎ書を書くとするね。で、引き継いで辞めたとする。
それで後からふと、あの引き継ぎ書の内容で大丈夫だったかな、困ったことあったんじゃないかな、と心配になる。私の意に反した、想像を超えた悪い出来事が発生してしまっているのでは無いかと。
これに対して、
「引き継ぎ書なんて、誰も見てないから大丈夫だよ!」
は、どうだろうか?
…
…
…
いや、これはその通りだな。