トマトは、子どもの頃と大人になってからとで印象が変わる野菜の一つだと思っいる。
子どもの頃のトマト好きは生で食べるミニトマトを意味することが多い。
子どものトマト好きはあまり、焼いたトマトを含まない。
皮と中身が連なっていた生のトマトと違い、焼いたトマトは皮と中身が連なっていない。
焼いたトマトの皮はゲソゲソで、一方中身はドゥルっとしており、ここに関連性が見出せない。
しかし大人になると、なぜかこの関連性のなさよりも、焼いたトマトそのものと、付属のチーズなりパン粉なり肉なりとのマッチの方が重要になる。
皮のゲソゲソ感は二の次になる。
ミニトマトのベーコン巻き串などは至高だ。
外側のベーコンの温度と、なぜか異常に保温性の高いトマトの中身の温度の差を読むことは、おそらくそこいらの子どもにはできるまい。
大人だって難しい。上顎が焼いたトマトのゲソゲソの皮風にならないよう細心の注意を払わねばならない。
それは、神が全人類の成人に与える最初の試練なのかもしれない。いや、ちがう。