某ネットワークビジネスでオススメされたものの一つが鍋だ。
今のカタログに記載のものと同じものかわからないが、10万円くらいの鍋セットがあった。
単品だともっと安い。
今のカタログを見てみると、鍋セット最高額20万円くらいだった。7〜8鍋とパン。計量カップがたくさんついてくるから高いのかもしれない。円安かな?
ティファールの鍋セットは5鍋とパンで高くて2万円ほどである。残念ながら計量カップが付いてこない。計量カップが欲しくて鍋セットを買う人には向いていないのが欠点だ。なにが。
さて。この鍋の値段の高さは彼らも認めるところで、まずはこの「値段高い」という気持ちを「相応」に変えるところからトークは始まる。
曰く、ここの鍋は大変丈夫。100年は使える…
安いものは何度も買い替えることになるから、総合的に見れば高いものじゃない。
そしてこうだ。
100年使えるから、あなたの子どもに、そして孫に継ぐことができる…素敵じゃない?キラキラ
ステキじゃない。
100年も経ってたら、鍋の素材がもっと開発されているに違いない。例えば、昔の鍋にはフッ素コートなんてされていなかった。くっつかないフライパン大変便利。
なんなら、鍋というものが存在していないかもしれない。例えば、昔はお湯を沸かす方法がやかん一択だったが、今は電気ケトルが普及している。
そうなると継いだところで無用の長物。ただのゴミだ。
20歳そこそこの小娘にそんな鍋を売りつけている連中、さぞ幸せであろう。
近くの女子が「私鍋買います」と言ったのだ。
連中は未来への投資などと言って褒め称えていた。
かわいそうに。数年内にガラクタになる。もしかしたら届いたその日から後悔するかもしれない。
一般に、一人暮らしの家には鍋を大量に抱えるほどの収納スペースが存在しないからだ。
私はというと「でも新品欲しいんですよね、都度」でこの鍋パーティーを乗り切った。
後日、別の鍋所有者から、鍋の蓋の取っ手が取れて壊れてしまったと聞いた。100年もたなかった。