私はどこにでもいる顔らしく、わりと誰かに間違えられる。
最も古い記憶は、小学生の頃。
ユミちゃんだ。
声をかけられてバイバイと言われた。
漫画やアニメで、人違いから始まる恋物語なんていうのがある。
誰かに間違えられた主人公は、本人じゃないと言えないまま、途中まで何かしらを受け入れる描写。
アレはやりすぎ。やりすぎだが、多少わかる。
訂正する隙がないのは間違いない。
次に、最も驚いた記憶は、モータースポーツに行った時。
パドックパスがあったのでパドックを歩いていたら、若いドライバーに「お疲れ様です」と挨拶されたのだ。
ドライバーとただの観客である。
誰かと間違えられている。
人間、長年の習慣で挨拶されると挨拶を反射でかえすものだ。
そしてアレっと思っているうちに、挨拶して挨拶返されるという普通の作業をスムーズに終えた本人はそのままスムーズに去る。
先日も、取引先の何者かに「あれーえーとー、ナカヤマさんですか?」と聞かれた。
これは全然スムーズじゃないので、
「違います」
と答えた。
漫画やアニメで、人違いから始まる恋物語なんていうのがある。
誰かに間違えられた主人公は、本人じゃないと言えないまま、途中まで何かしらを受け入れる描写。
アレやっぱりやりすぎ。やりすぎだった。本人と言えないままベッドに傾れ込むとか絶対フィクション。
隙がないのは挨拶くらいだって。
話し込んだら隙あるて…!