日本史を勉強すると戦国時代に登場するキリスト教。
これまでそこそこきちんと信じていた仏教から、そんなに簡単にキリスト教にハマるものなのだろうかとしばしば思う。
しかし、人間は単純だ。
初めて目にする『キリスト教』が、これまで見たことも聞いたこともない「美しい」ものだったとしたら。
日本古来の建物とは違った外観と色とりどりのステンドグラスなど備えた西洋芸術的な教会。
日本の寺の木造建築、風流なそれと違った別の美しさがある。
情報が少ない時代、初めてこれに出会った人はきっととんでもない衝撃を受けたであろうことが想像できる。
ところで、キリスト教ガヤ界隈であまり話題にならないが、個人的に1番すごいと感じるのはキリスト氏の父=聖母マリアの夫だ。
妻の処女懐胎を信じ(一旦疑ったけど)、全く血の繋がらないキリストを我が子として愛情深く育てた大工の親父。
話題になって無さすぎて、スペインにてガウディ建築物の一環として見学したコロニアグエル教会でたまたま把握したのは幸運であった。子どものころのキリスト坊やと夫婦の像などは、磔にされて痛々しいキリストとマリア図しか知らないガヤ界隈にはなかなか新しく、
この坊やが普通に生きられる世界線はなかったのだろうかと無意味なことを考えたものである。
もっと聖家族で推してやりたい。
聖家族で推すとかいう新しい概念。