思い返すたび、ふつふつと、燻る感情がある。
中学の頃、読書の推進で読んだ本を書いて先生に提出する期間があった。
たくさん読めば評価がマル。
読まないと読みましょう、と言われる。
幸い私はよく本を読む方で、特にそれ自体は苦ではなかった。
一定期間に読んだ本のタイトルと作者、一言感想を書いてたプリントを提出し、しばらくすると先生からプリントが返却される。
忘れもしない。
山本周五郎作品には花丸が付いていて、さくらももこのエッセイ、今をときめく東野圭吾作品は、了解くらいなものだった。
子どもながら違和感があったが、答えを強いるのが当然の学校という場所。違和感があってもそれは当然でもあった。
先生、さくらももこの本も、東野圭吾の本も、等しく花丸だったんじゃない?
中学生で東野圭吾の分厚いハードカバー本を持ち歩いて読んでいたのだ、先生。
先生の作家への価値観を生徒に押し付けちゃいけないよ、先生。
東野圭吾の本は、LGBTの女性が出て来る当時とても先進的な内容だった。
先生。ねぇ、先生。