現役、ナウ、進行形の話である。
小出しでお腹痛い。
一回出して撮影快調と思ったら、第二波、三波と日常に戻るたびにこまめにやって来る腹痛だ。
このブログは、日常に戻るのを恐れた結果、トイレの前で書いている。愚かな人体への戒めの記録として。一発で10回分出せや。
人類は皆等しく、だめなお腹痛いやつとそうでないお腹痛いやつの存在を認識している。
だめなお腹痛いやつというのはまさに今の私。
下腹部に鋭い痛みが走り、腹部を多少動かしても揺るがない。肛門括約筋を緩めた瞬間負けそうな、そんな予感をさせてくるどんよりと重い、そして熱い腸内の感覚。
だめじゃないお腹痛いやつというのは大きく分けて2つ。
1.オナラで一旦逃げられる
2.その腹痛の正体そのものが単なる長いオナラ
1はカジュアルな便意とも言えよう。
一旦ガスを流すことで、大便が詰まった腸に隙間を与え、その便意誤解ですよと一瞬の猶予を与えるイメージだ。
できればその猶予の間にトイレに向かいたい。
2は急いでトイレに駆け込んでみたものの、オナラが出ただけで全てがおさまってしまうパターンだ。
腸の錯覚か何なのか。
職場のトイレで派手にやってしまうと恥ずかしい。
しかし、全ての人類が理解しているように、
このオナラによって救われた成功体験が、少なからず人類に悲劇をもたらす。
実際のところ、人体というのは繊細そして愚かで、
いつも同じレベル感で、だめなお腹痛いやつかそうでないかを提示してくれるわけではない。
全く理解に苦しむが、脳の便意をこらえる部門の人と脳の腸内便意部門の人で連携がとれていないのだ。
脳の腸内便意部門の人が「今日の」感覚で、だめなお腹痛い信号を送ったとする。
脳の便意をこらえる部門の人は「過去の経験から」だめなお腹痛いやつかそうでないかを検討する。
ここで、過去のオナラによって救われた成功体験の登場だ。
脳の便意をこらえる部門の人は、この成功体験から導き出された「お腹痛いの我慢。オナラで回避。」を、我々本体に指令する。
アッ
ケツに熱い何かを感じ、駅のトイレでパンツを脱いだことがある者もいるだろう。
同情しよう。
ちなみに私は漏らしたことは無い。
香港でお腹痛過ぎてトイレを詰まらせた事しかない。